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森岡栄治 / Boxer Story

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故 森岡栄治 1946年、大阪市大正区生まれ、
大阪浪商高(現大体大浪商高)3年時に全国高校総体バンタム級で優勝。
近畿大学へ進み、65年から全日本選手権同級4連覇。
68年メキシコ五輪同級で銅メダル。
卒業後プロ入りしたが、
右目網膜はく離のため25歳で引退。
現在の森岡ボクシングジム(兵庫県川西市)設立。

1998年から3年間、西日本ボクシング協会会長を務めた。
同時に近畿大学体育会ボクシング部 OB会 会長
2004年11月9日 食道癌により 永眠 森岡栄治 享年59歳
アマチュア戦績 138戦 72KO RSC 10敗
最後の五輪メダリスト 森岡栄治 豪快人生

五輪でのちょう落ぶりは、日本の各競技に共通する傾向だが、 とりわけボクシングは深刻。
オリンピックのボクシング競技は2回戦までに姿を消すことが 当たり前のようになっている。
メダリストになると、1968のメキシコ大会バンタム級で 銅メダリストを獲得した森岡栄治(近大)までさかのぼる。

「波乱万丈のオリンピックやった」

「波乱万丈のオリンピックやった」。 森岡栄治は言う。近畿大学入学以来4年間、 全日本学生チャンピオンを守り続け、五輪1ヶ月前に、 長野で行われたオリンピック代表候補合宿に参加した。
オリンピック候補選手は4人が同室に入り、 朝は走りこみ、昼夜はスパーリングの日々。
数日で音を上げた。練習のハードさもだが、 ライバルたちと何日も寝食を共にさせられて精神的に参った。

「このままでは死んでしまう」

病気を理由に大阪に戻った。 以後は、孤独な練習。昼は大学で練習し、 夜は町のジムに通った。
表面上は代表争いの圏外に去っ たと思われた。 しかし、「普通の生活に戻って生き返った」。
オリンピック代表決定試合。 森岡は合宿で同室だった3人のライバルをいずれも 1RでKOして代表権を獲得した。
出場が決まると、あちらこちらから「祝い金」が届き、 当時のお金で180万円にも達した。
お礼の挨拶回りに時間が取られて練習不足だったが、 1回戦からよく足が動き、順調に勝ち進んだ。
準決勝のソコロフ(ソ連)戦は決定打こそ 奪えなかったが、再三、ソコロフをコーナーに詰め 「森岡有利」に思った。
しかし、判定は3-2でソコロフ。 これにはメキシコの観客が怒った。

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「なぜ、モリオカが負けだ」

さまざまなものが、リングに投げ込まれ、 おかげで次の試合が大幅に遅れた。
ジャッジの判定の不信感を持ったが、 観客の反応で納得した。
「みんなわかってくれている」

五輪後プロに転向したが、 3戦目に急に右目が見えなくなった。

「網膜はく離だった」

知られたら引退だから、ひた隠しにして 1年半もリングに上がった。
しかし、もう片方の目の視力が落ちてきた71年、 11戦7勝4敗の戦績を残して引退を決意した
森岡栄治の意思を受け継いだ、若き日の現・森岡ボクシングジム会長の森岡和則さん(左)と次男の良浩さん(右)。
現在、二人は会長、トレーナーとして世界チャンピオンを育てる夢を引き継いでいる!!!

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