最後の五輪メダリスト 森岡栄治 豪快人生
五輪でのちょう落ぶりは、日本の各競技に共通する傾向だが、 とりわけボクシングは深刻。
オリンピックのボクシング競技は2回戦までに姿を消すことが 当たり前のようになっている。
メダリストになると、1968のメキシコ大会バンタム級で 銅メダリストを獲得した森岡栄治(近大)までさかのぼる。
「波乱万丈のオリンピックやった」
「波乱万丈のオリンピックやった」。 森岡栄治は言う。近畿大学入学以来4年間、 全日本学生チャンピオンを守り続け、五輪1ヶ月前に、 長野で行われたオリンピック代表候補合宿に参加した。
オリンピック候補選手は4人が同室に入り、 朝は走りこみ、昼夜はスパーリングの日々。
数日で音を上げた。練習のハードさもだが、 ライバルたちと何日も寝食を共にさせられて精神的に参った。
「このままでは死んでしまう」
病気を理由に大阪に戻った。 以後は、孤独な練習。昼は大学で練習し、 夜は町のジムに通った。
表面上は代表争いの圏外に去っ たと思われた。 しかし、「普通の生活に戻って生き返った」。
オリンピック代表決定試合。 森岡は合宿で同室だった3人のライバルをいずれも 1RでKOして代表権を獲得した。
出場が決まると、あちらこちらから「祝い金」が届き、 当時のお金で180万円にも達した。
お礼の挨拶回りに時間が取られて練習不足だったが、 1回戦からよく足が動き、順調に勝ち進んだ。
準決勝のソコロフ(ソ連)戦は決定打こそ 奪えなかったが、再三、ソコロフをコーナーに詰め 「森岡有利」に思った。
しかし、判定は3-2でソコロフ。 これにはメキシコの観客が怒った。 |